早稲田卒・氷河期世代、元ひきこもりの初仕事で認識した、社会から隔離された期間の「本当の痛み」とは? 本記事では、岡本圭太氏の著書『ひきこもり時給2000円』(彩流社)より、同氏の実体験をもとに、社会から断絶したひきこもり生活から、再び社会との繋がりを築く第一歩をみていきます。
早稲田大卒・氷河期世代…31歳男性が時給1000円の「初仕事」で気づいたひきこもり3年間の「高い代償」 ※画像はイメージです/PIXTA

疑問に思う「ひきこもっていた頃の自分」

最初はそれも一時的なものかと慎重に考えていたのだけれど、2日目になっても3日目になっても仕事の大変さは変わらなかったので、ここの仕事はこういうものなんだなと理解できた。それでたしか時給が1000円ちょっと。ほとんど何もしないで1日5000円以上ももらってしまうことがひどく不思議に思えた。

 

そしてこの時、僕はこのように考えた。「これで1時間に1000円もらえちゃうんだったら、ひきこもっていた時のあのつらさはいったい何だったんだ?」と。

 

「もし給料というものを苦痛の対価だとするなら、あの頃のつらさは1時間に4、5000円分ぐらいにはなるのではないか? まあそれはもらい過ぎにしても、その半分の時給2000円くらいはもらわないと割に合わないだろう」こう考えた時のことは今でも強く印象に残っている。そう思った瞬間のまわりの風景もありありと思い出すことができる。

 

そんなことがあったので、あれ以降僕は、「ひきこもり時給2000円説」というのを勝手に唱えるようになった。ひきこもりに関する講演会とか、そのたぐいの中でも、ここに書いた話はほぼ毎回のように話している。

 

前に神奈川の県立高校の教職員向けに話をした時は、この話のところがいちばん反応が良かった。教職員の皆さん方から、「ああ、ひきこもりというのはそういうものなんだな」という心の声が聞こえてくるような感覚があった。「ひきこもり時給2000円」という言い方をすることで、働けずにひきこもった生活を送ることの苦しさが、ある程度理解しやすくなるのかもしれない。

 

もちろん僕は、今現在ひきこもっている当事者たちに1時間につき2000円を与えろということを言いたいわけではない。そんなことをしたらいくらお金があっても足りないし、彼らだってそんなことは望んでいないだろう。

 

そうではなくて、僕が親御さんや周囲の人たちに知ってほしいのは、ひきこもりというのはそれぐらい大変できついものなんだということである。彼らはそれだけ苦しい思いを毎日のようにしている。言っとくけど、あれは決して楽なものじゃない。怠けているように見えるかもしれないが、その実はどんな過酷な労働にも比肩し得るほどきつく苦しいものである。それを周囲の人たち、あるいは今現役でひきこもっている人たちに理解してもらいたいがための「時給2000円説」である。

 

働けなかった頃の僕は、社会に出て働くということが怖くて怖くて仕方がなかった。今の僕は、部屋にひきこもっていた時のほうが働いている今よりずっと苦しかったと断言できるのだが、当時の僕は、社会に出て働くというのは、今のひきこもった生活よりもずっとつらくて苦しいことなのだと考えていた。だから、「社会に出なければ/働かなければ」と思いつつも、どうしてもそこに踏み出すことができなかった。あまりにも恐ろしかったのだ。

 

なんだか痛々しいな、と今では思う。そして、社会に出ることがそれだけつらいことだと思っていたのであれば、実際に働いてみて拍子抜けしたというのもまあ当然だろうな、という気がする。

 

(2012年8月執筆)

 

 

岡本 圭太